彼の世界は私の世界ではない


今朝、いつも利用する駅のいつものホームの柱に
高さ20cm程度のポストのような箱が設置してある
ことに気が付きました。
具体的な用途は不明ながら、それは駅員さんの
業務に関係するものなのだろうという想像は
つきました。問題は、その箱に書いてある文字。


「のりほ」


平仮名3文字。
まず思ったのが、これらの文字がビニールテープを
切り張りしたもののように見えたので、「のりば」と
書いてあった筈のところを、誰かが「ば」の濁点を
剥がして「は」の上に一列に繋げて張ったのでは
ないかということ。しかし、どう見ても「ほ」の
上の線に継ぎ目はありませんでした。


と、いうところまで、柱を通り過ぎざまに確認。
しかし。と、私の思考は続きます。しかし、
そもそも列車のホームは乗るところであると同時に
降りるところでもあるのです。「乗り場」と
のみ表現するのは「降りる」という行為に対して
失礼ではないのか。なんとなく、寂れた路面電車
道路真っ只中にあるホームは、「乗り場」というより
むしろ「降車場」と表現したいじゃないか。
勿論それは私の感覚に過ぎず、まぁ「乗り場」と
言ってもホームだと通じるだろう。だから
あの箱は「ホーム用」である、ということを
あの文字が示していると理解することはできる。


では、何故平仮名なのか。
どうせビニールテープなら、直線をいっぱい切って
張れば、平仮名よりも漢字の方が構成しやすい
だろう。いやしかし、それでは余計なコストがかかる
ようにも思える。
そもそもあの「の」も「ほ」も一枚のシートから
切り抜いたように見えた。「の」や「ほ」の曲線を
切り出すのには割りと技術が必要なように思えるが、
画数の多い漢字を切り出すよりも楽なのだと
言われれば、そうかもしれない。
それに、あの線の滑らかさからすると、ひょっとしたら
ああいった文字を切抜く専用の機械とかが
開発されているのかもしれない。
型抜きできるみたいなの。
そうであるならば、いくら直線のみで構成できる
とはいえ、やはり平仮名の型を作る作業の方が
労働力的にもコスト的にもメリットが多いように
思われる。


と、いうところまで考えたところでですね。
時刻は朝8時半前、人の流れにのって、乗り継ぎの
ために地下鉄のホームへと歩く私。
そんな私はいつから、一体いつから些細な疑問に対して
コストだの労働力だのの背景を気にするように
なったのか。大人になってからか。


子供の頃、電気は電力会社の人が交代で自転車を
こいで供給してくれてるもんだと思っていた。
どこの馬鹿だよという突っ込みはともかく、
人々のはたらきが世界を紡いでいることは
知っていた。それが若干、具体的になっただけだ。
何故具体的になったかというと、やっぱり昔よりも
ほんの少しだけ、世界を紡ぐ仕組みを見てきた
からだろうか。


そして、そうやって歳を重ねてきた私は、
世界が私の知っていることや想像できることだけで
紡がれているわけではないことも知っている。
だから逆に素直にもなる。理屈をこねるよりも、
自分の無知を認める方が、よっぽどシンプルで
正しいのだ。


ということで調べました。
「のりほ」


=「列車乗車人員報告書」
参考URL:http://www.harimaliving.co.jp/gimon/sonota/01.html


はぁ合点。
ということで、朝のつかの間、私の移動時の友となった
疑問は解消されたのでした。すっきり。
でもこれからも、簡単なことをつまらない方向に
ひねくり回していくんだろうなあ。
それはそれで面白いからいいんだけれど、せめて
正確な道筋を確認することを怠らないようにはしたい。