インド旅覚書11


  *****2009/2/21:移動日*****


・バスに乗って9時間、一路、次の目的地
 ナーガルジュナコンダへ。
・遺跡の見学は翌日に。この日は早めに人工湖近くの
 ホテルへチェックイン。


【これは翌朝のホテルバルコニーからの眺めかな】


・そろそろ胃も疲れてきたので、夕食の際に
 「白ご飯と白湯」をリクエスト。若干厨房の人たちを
 混乱させながらも(申し訳ない)おかゆとお湯が出てくる。
 そして我々の鞄から登場したのは、ふりかけと
 インスタント味噌汁。
 …いやぁ、美味しかった。
 「五臓六腑に染み渡る」
 「やっぱり日本人でしたね」
 そんな感想が出たこの日の夕食。
 デザートは、やはり同行者持参の羊羹でした。


・そして無駄に体力をつけてしまった所為か、その日の
 夜は同室の女3人によるアレな会話タイム。
 決して下ネタは無いが、下種さではそれを越えたかも。
・その他、私のMP3プレイヤーに保存されていた楽曲の
 数々をPCに移して鑑賞会。何故インドも随分南下して
 きた土地で「ギンギラギンにさりげなく」を聴きながら
 笑っているのか。「勝手にしやがれ」のジュリーの
 艶っぽさに身悶えているのか。
 しかしこんなに趣味丸出しのMP3プレイヤーの中身なぞ、
 通常は開陳しないだろうから、やはり旅のテンションの
 賜物であったかもしれない。
・問題は、そんな夜の女3人秘密会が、実は隣の同行者の
 部屋にも 筒抜けだったということだ。
 …うるさくしてすみません。
 と言う以上になんかもう居た堪れないんですけどー!!

 インド旅覚書10


  *****2009/2/20:遺跡へGo*****

・朝7:30から、グルバーガ郊外の遺跡を目指して出発。


【今日のはたらくくるま】


・何せ観光地化されていない遺跡なため、ガイドさんも
 手探りで出発。
 そして、デリーからずっと付いてくれているそのガイドさん
 では、このあたりの言葉が分からないため、専用の
 通訳さんも同行。インド広い。
・そんな通訳さんも遺跡の正確な場所は分からない為、
 道々で住民に道を尋ねつつ進む。
 そのためよく停車するので、しょっちゅう外に出ては
 田舎の空気を味わう。緑の匂い。


・なんだかんだで遺跡に到着。
 ここでまた、手続き上のなんやかやがあって、
 ガイドさんが奮闘する。
 やたらと警備員はいるのだが、あまり緊張感はなく、
 珍しげに我々について回る。あれは多分、職業意識
 というよりも、好奇心の賜物。
・遺跡の隣の田んぼでは、色鮮やかなサリー姿の女性たちが
 歌いながら農作業中。


・なんだかんだとまた色々ありつつ、帰る時間になった、
 ら、今日のはたらくくるまが働く気をなくしたらしい。
 車が動かない。エンスト?
 警備員の兄ちゃんたちもやって来て押してくれたりする
 のだが、エンジンがうんともすんとも言わない。
 どうなる?
・と言っても我々は非力なため、またもやガイドさんや
 運転手さんたちがいろいろと奮闘してくださっているのを
 見守るのみ。
 途中で、運転手さん(だったかな)が、自転車を借りて
 我々のために水と食べ物を手に入れてきてくれた。
 このために片道10kmとか言ってたかな…。ありがたや。


・で、やっぱり我々は非力なため、ぼんやりと帰り手段の
 復旧を待つ。警備員の兄ちゃんたちと写真を撮ったり。
 (撮影をものすごくせがまれる。しかも一緒に撮る時は
 肩を抱かれたりする。ふれんどりー?)
 近くには大きな川があって、近所の子供たちが遊んでいた。
 かわいいなー。


【遺跡近くの川で近所の子供とひまつぶし】


・最終的に、別の車が新たにグルバーガから寄越されて
 事なきを得た。この車で帰るとき、何故か遺跡の責任者も
 同乗していたが。何故貴方もいるのか。
 ジープ(狭い)なのに。
・予定よりも随分遅くなってホテルに帰投。
 夕食は昨日と同じ地下食堂だが、あやしさにはもう慣れた。
 というか、朝食時に明るい光の下で見たら、別に
 そんなに怪しい食堂じゃなかった。
 

 インド旅覚書9


  *****2009/2/19:移動日*****

・早朝5時出発で、まずはプーナに向かって
 バスで移動。約230km、5時間半。


【朝焼けー】


・確かこのときに、あまりにぐったりしている
 我々を見かねてか、ガイドさんがキャラメルを
 買ってくれた。
 お子ちゃまなので大喜びする。


・プーナの駅に到着。
 ちょっと時間があったので、駅前商店街を見る。
 そのためには道路を横断する必要があったのだが、
 駅前ということもあってかなりの交通量なのに
 信号がない。(地下道みたいなのはあったのかな?
 でもどこに繋がっているのか分からないから
 怖くて入れなかった…)
 でも渡る。なんとかなる。
・その駅前商店街は、確かに雑然とした、つまりは
 いかにもインド然とした佇まいの店々では
 あったのだけれども、どことなく町並みの雰囲気は
 すっきりしている。
 都会という意味ではニューデリーの方が洗練されて
 いるのだけれども、なんて言うかな、猥雑さがあまり
 ないというか…
 「ここでなら暮らしていける」と思いました。インド初。
・駅前のタクシーの客引きたちも、声は勿論かけてくるけど
 「この後は電車に乗るのです」と2回程説明したら
 あっさり引き下がった。こっちが拍子抜けするくらい。
 まぁ1回の説明で納得せんのかい、と言われりゃそうなんだ
 けど。
・もうちょっとゆっくりプーナの街を見物したかったです。


・グルバーガに到着。小さな街です。
 で、vodafoneの看板がいっぱい。
 ここに限らず、インドではあらゆる街でvodafoneの看板を
 見かける。
 ちなみに私の国際ローミング対応携帯(au)も
 基本的にどこでも繋がった。
・宿泊するホテルも、街に見合ってこじんまり。
 でもバス・トイレつき(お湯には制限有り)。
・そんなホテルの食堂は地下に。
 これが…うーん。怪しい雰囲気というか、薄暗くって
 青のダウンライトか何かで、食堂というよりもクラブ
 (踊る方)と考えるとしっくりくる。私1人なら、
 食事を我慢したかもなぁ、と思う。
 まぁ怪しげなのは雰囲気だけで、お料理もウェイターさんも
 いたって普通でした。確かスープが美味しかったよ。
・ですが、やはりそんな雰囲気に圧されていたのは我々だけ
 ではなかったようで、隣のテーブルに座っていたフランス人
 夫妻の特に奥様がこちらにガンガン話しかけてくる。
 …不安なところに、同じ外国人が来たからなんだろうなぁ。
 でも何故、ご夫妻はあんなところに滞在していたのだろう。
 ビジネスっぽくもなかったし…。
 ちなみに我々は、明日、郊外の遺跡に行くのです。

 インド旅覚書8


  *****2009/2/18:終日アジャンタ石窟群*****
・お待ちかねアジャンタ。
 入り口で乗り合いバスに乗り換えてGo。


【全景、ならぬ半景?】


・暑い…っていうか、体調が非常に嫌な感じ。
 全窟を見たいという気持ちと、体の「無理っす」という
 悲鳴が私の中でせめぎあう。
 有体にいえば「…まだあんなにあるの?」


・だうーん。
 ついに体調不良により一行に付いて行く事を断念。
 せめて第12窟・ビハーラ窟で休むこととする。
 休むっつーか、地べたにすっ転がる。
 

【石窟の中から外を望む。でもこれ第何窟?】


・昼になっても休憩所まで自力で戻れない。
 いや、一人なら休み休ーみ行けるかも、という程度
 だったが、何せ団体行動。
 ということで、ひとり駕籠に乗せてもらうことに。


【駕籠に乗る私(遠景)】


・楽チンだったが、めっちゃ人々に見られた。


・昼休憩後、そのままレストハウス(?)でひとり
 待機。
・丁度、遠足などで使うような、1F土産物屋、2F団体様用
 レストラン、といった趣の建物。
 この2F部分のだだっ広い机と椅子のスペースを、
 我が一行が独り占め。というか、午後は私が独り占め。
 ソファを占領し、トイレとの往復運動を行う。
・店員(?)のお兄ちゃんが、そんな私を見かねてか
 はたまた暇つぶしにか会話をしてくれる。
 彼はゴアの出身だとのこと。
 いいなー、一度行ってみたいんだよねー、と返した気がする。
・カメラは同行者に預けたため、見ていない壁画の
 データは満載。でも寂しい。


・ちなみに体調不良の原因は、おそらく煮詰まったコーヒー。
 前回のインドでは脱水でダウンしたので、これには
 気をつけていたし、日射についても然り。
 日本でも、煮詰まったコーヒーとか飲むと異常に
 お通じがよくなったりしませんか?
 インドでは、おしなべてレストランのコーヒーは
 濃かったのです…。
 その後、コーヒーを避けて旅を続け、倒れることは
 ありませんでした。濃いコーヒーには用心だ!


・帰る頃には体調復活。
 途中で寄った土産物屋でピアスを物色する。
 この前にホテルで片方ピアスを流してしまったため、
 左右を1日交代で付け替えていたので。
 「シルバーで!925以上で!」と念押しして2つゲット。
 でもやっぱりひとつはかぶれてしまったのでした。
 (金属アレルギー持ち)

 インド旅覚書7


  *****2009/2/17:移動日*****

・朝から移動。列車7時間、車4.5時間(170Km)
 ボパール→ブサバル→オーランガバード。


【駅に向かう道を車の車窓から。朝です】


【ブサバル着後。で、オーランガバードへ向かう】


・本旅程中、初の同一ホテル連泊。
 そこで、レッツお洗濯。
 「もーここまできたらいいだろう。時間かかるし」と
 いうことで、女3人分の洗濯物を一気にバスタブへ。
 …バスタブの水が、一気に変色。
 「女子としてこれは駄目だろう」という色へ。
 きっとあれは土埃の所為。

 インド旅覚書6


  *****2009/2/16:アイラブサンチー*****

・朝もはよから国内線に乗って、今度はボパールへ移動。

・空港前は絶賛工事中。サリー着た女の人も、頭に土を盛った
 籠を乗っけて働いている。
 というか、重機の姿が殆どないのだが、ほぼ人力で
 空港前ロータリーの整備をするのだろうか。

・迎えのバスを待っている時、日本語で話しかけられる。
 「あのー、こちらにお住まいなんですか…?」
 いえ、我々どっからどう見ても通りすがりの日本人です。
 お肌も真っ白です(黄色人種の平均値的な意味で)。
 声をかけてきたのは、某大企業にお勤めの日本人青年。
 この時から5年(だったかな?)の現地駐在任務だそうで。
 …まぁ、小さい空港だし、人力で工事してるし、空港前も
 店はおろか何か建造物すら見当たらないし…。
 そんなところで同じ日本人見かけたら、声掛けたくもなる
 だろうし、あわよくば同じ身の上であってくれれば!と
 思うかもしれません。
 しかし残念。我々は単なる通りすがり。不安の払拭に
 お役に立てず申し訳ない。
 その後、お出迎えのインド人に連れられていった彼の姿を
 見ながら、脳内でドナドナを歌ったのでした。
 今、あの人はどうしているのでしょう。
 インド生活を楽しんでいてくれればいいのですが。

・その後迎えに来たバスは、総勢5名(含・ガイドさん)の
 我々に対して、以上に立派な観光バスだった。
 逆にこれしかなかったっつーのもなんか凄い。


・それはともかく、サーンチー到着。
 いえーい。サーンチー!

・いつ来てもテンション上がる遺跡群。
 でも、前に来た時よりも田舎度が減って垢抜けた
 感じがする。まぁ世界遺産の観光地だしね…
 でもちょっぴり残念。


【ザ・仏塔】


【そびえる欄楯】


【美しいレリーフ


【どっかのお坊さんwith何かの撮影隊】


・当日は湖の畔にある外国人向けリゾートホテルで投宿。
 元王様の夏用宮殿(?)だとかでえらい綺麗。
 山の上だがLAN完備。
 ホテルの売店にて民族衣装っぽいワンピースを購入。
 ピンクで刺繍が可愛いの。
 当時ルピーが安くて、日本円にして2000円ほど。
 まぁいいホテルだしなー。


【いいホテルだった…。写真は暗いけど。しかも通路】

 インド旅覚書5


  *****2009/2/15:そろそろ波乱*****

・本旅程中、初の「午前中自由行動」。
 まったりお散歩に出かける。

・ホテルの近くには大きな川が流れていた。
 その川辺にはテントが張ってあったけれど、
 サーカスでもやるのだろうか。

・近くには国立植物研究所(だったかな?)。
 そこに出入りするお姉さんを「なんか頭良さそうだなー」と
 尊敬の眼差しで見つめる。
 その感想が頭悪そうだ。


【ホテルの窓から】


ラクノー州立博物館へ移動。
 同敷地内(?)には動物園もある。
 日曜日だったこともあって、家族連れや出店で
 大変な賑わい。


【その動物園の入り口近くのオブジェ。シュールすぎる】


・さて、当日のメインは博物館だったわけだが、第3日曜
 (だったかな)のため、なんと休館日。
 そりゃないよーと扉にすがりつくも、勿論開かない。
 くやしがったり虚脱したりする数名の日本人を、珍しげに
 見ながら通り過ぎるインド人家族たち(日曜日を満喫中)。


【そして博物館前のごきげんそうな像】


・仕方ないので、女3人は近くの服屋へ連れて行かれる。
 勢いでシャツとネグリジェを購入。

・その後、国内線でまたもやデリーへ逆戻り。
 一泊目と同じ豪華ホテルに宿泊。
 隣の敷地では何か若者たちがダンスパーティーをしていました。