献身とはなんだったのか。


読了本。
東野圭吾『容疑者Xの献身』文藝春秋


さくさく読了していっているので、
読書メモというこのブログ本来の目的が
達成されてちょっと嬉しい今日この頃。
子供の頃は、「本を読むのが早すぎて
もったいない」と親に文句を言われたものでした。
大人になるって素敵だ。
というか、図書館って素敵だ。
味わうときは味わうんだけれども、今は
がっついて読みたい、そんな読書バイオリズム。


で、読了。
東野圭吾は安心だ。という見解は、割と多くの人が
持っているんじゃないだろうか。
こういうネタを扱わせて、東野圭吾が外す
わけがない。特に昨今では。


ホワイトヘッドの例を出すまでもなく、
哲学と数学は意外と隣り合わせの存在なのだろう。
本書でも幾つか数学の命題が提示されるが、それに対して
ある登場人物は、それは最早哲学だ、と言う。
だがおそらく、そもそも非論理的な哲学というのは存在しない。
哲学とは、論理の解法を問い、定義するものではないのだろうか。
いささかネタばれになるが
(だから改行)












その「解法」を問う本書は、その哲学と数学の曖昧な境界を
読み手に意識させる。うん、あんまりネタばれじゃなかったね。


珍しく湯川が大人しくてちょっと物足りない。
でも、彼の普段の強靭さを裏付ける孤独が垣間見えて興味深い。


   ※※※※※


予防医学ですよ、予防医学
昨日、喫煙者の肩身の狭さを嘆く私に、そんな慰めが
かけられた。慰めじゃないな。揶揄か?
予防ばっか流行っちゃあ医者がおまんま食い上げじゃないか。
と反論したが、「美容整形とか、違うジャンルが
伸びるんでしょう」と返された。
そんなら整体の保険適用とかもっとやってくれ。
医者が必要とする新ジャンルは何なのだろうね。
というのは、次の読了本の予告。