水のようだと思う


ばたばたと修羅場の後始末に追われ、久しぶりに
ぽっかりと予定が空いた週末。生憎の冷たい雨降りで
日用品を買いにスーパーへ出掛けるくらいしか
できなかった。それでもスーパー程度の用事しか
なかったから逆に良かったのかも。
と思っていたのだけれど、今朝、電車内の吊り広告で
正倉院展が昨日までだったことを知る。
しまった、行こうと思っていたのに。
美術館とか博物館の展示って、「これが終わったら
行こう」と思っていても、いつもタイミングを逃して
忘れてしまう。
まあそれでも、昨日なんかだと最終日の日曜で、
どうせすごい混雑だっただろうし…と、取り敢えず
自分を慰めてみる。別に本当に慰められるわけじゃ
ないんだけれど。


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ということは、よくあると思うのです。いや、上記のことは
実際のことであって嘘ではないのですが。こんな「当たり前
のこと」が、小説を読んでいるときに「当たり前のエピソード」
として盛り込んであると、「ああ、こんな『当たり前』を
よくわざわざ思いつくなぁ」と感心してしまう。嘘を800並べる
よりも、『当たり前』5つでストーリーを展開させる方が
難しくないですか。比べるものでもないかな。


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読了本。
北村薫ひとがた流し朝日新聞社


しみじみとかなしい…哀しい?愛しい?話。
40歳を過ぎた3人の女性と、その家族の物語。
40歳も過ぎた彼女達は、全部を友達と分かち合う程
子供じゃない。けれど、こういう時、こういう
形で関わりあうことができる彼女達の友人関係は、
「大人」であって、「友達」だからだと思う。


北村薫は、上述したようなエピソードの盛り込み方が
巧みな作家だと思っています。この本は、そういう
エピソードを外すことなく形成された物語の流れがとても
しみじみとかなしくて、止められなくて一気に
読みきってしまいました。
彼の書く文章は、水の流れのようだといつも
思います。さらさらしていて、少しひんやりしている。
私は別に日本語に巧みなわけではないのですが、
物語を読んでいるときに「いや、私だったらこの
語順にしないかな」とか「ここで体言止めかよ」とか
考えることが割りとあります。
北村薫はそれがない。多分私の感覚と相性がいい所為も
あるんだろうな。


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先週末金曜日はライブにお出かけ。
SOIL&"PIMP"SESSIONS @大阪BIGCAT
いやぁ良かった!SOILは本当に外さないわ。
CDで聴いても嬉しくなるのですが、生で聴くと
一層嬉しいのがタブゾンビと元晴さんの
コンビネーション。今回の私的ベストナンバーは
「LAST LONG」でした。歌もない、音だけでこんなに
気持ちがざわざわして少し哀しくなれるとは、なんて
贅沢なのだろうと思いました。社長と元晴さんが帽子を
取ったところは初めて見ましたよ。


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以前の更新「知に足の付いた」って、間違いですね。
「地に足を着」けなきゃ。でもこの文脈なら、敢えて
「知に足を付け」てもいいかもしれない負け惜しみ。