理性は手綱か


この夏、チベットに行った人に、その旅の写真を
見せてもらいました。
チベットの空は呆れるほどに青いです。
空気の層が、目で見えるのだとその人は言っていました。
色がはっきりと違うのだと。


「自分は何故、AをBだと感じているのだろう」という
ようなことを、時々考えます。


Aからスタートして、A'について考える、ここは理性。
A'をA''と判断するこれも理性。自分の経験の範囲での理性。
A''からBと断じる、しかしこれは感情。


というように「ここまで理性、ここが社会的規範で
行き着く判断は感情」と、分けられる(と思い込んでいる)
思考の経緯もあります。


全部最後は感情か。


そうでないことも、勿論あるわけで。
チベットの空みたいに、自分の思考回路を
はっきりと分けて捉えられたらいいのに、と
思う日もあるのです。


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大谷大学2006年特別展
大拙―その人と学問」
http://www.otani.ac.jp/kyo_kikan/museum/tokubetu_2006.html

これ、ポスターの写真がめちゃめちゃいいですね。
齢を重ねた顔の、素晴らしさ。
片耳からぶらさがった眼鏡も秀逸。
D.T.Suzuki、いぇーい。
…癖でね。「鈴木大拙D.T.Suzuki」ってまとめて呼ぶのが。
息継ぎなしで。「即ち」とか挿まないで。
なんでだろう。収まりが良いからかな。